こんにちは!
フラメンコギター池川です。
「先生、ぼくみたいな歳でも本当に大丈夫でしょうか?」
体験レッスンの日、そう聞いてくれたのは当時70歳のAさんでした(名前は変えてあります)。
元クラシックギタリスト。学生時代から30年近く弾き続けてきた。定年を機に「いつかやってみたかったフラメンコ」を始めようと思ったのだ、と。
そのAさんが、1年後に練習会で踊り手の伴奏をすることになるとは、正直ぼくも予測していませんでした。
今日はその話を書きます。
入会時の不安——「この歳からでは遅すぎるのでは」

Aさんが最初に持っていた不安は、大きく3つありました。
まず「年齢」。70歳というのは、新しいことを習い始めるには遅すぎるんじゃないか、という気持ち。特にギターのような、指をいっぱい使う楽器は。
次に「経験のギャップ」。クラシックギターは30年弾いていても、フラメンコはまったく別物に見えた。むしろ長年のクセが邪魔をするんじゃないか、という心配もあった。
そして「指の問題」。60代を超えると関節の動きが鈍くなる。若い頃のようには動かない。それは現実としてある。
ぼくが体験レッスンでAさんに最初にやってもらったのは、ラスゲアードという奏法でした。
4本の指を順番に弦に当てて鳴らす、フラメンコ独特の技術です。クラシックの奏法とはまるで違います。でもAさんは数分で「あ、こういうことか」とコツをつかんでいった。
長年ギターを弾いてきた人が持っている感覚——弦の響き、指の角度、音の出し方——は、フラメンコでも確実に活きます。楽器としてのギターへの慣れがある。音楽を聴く耳がある。これは大きい。
「あなたのギター経験は邪魔にならない。むしろ有利な部分がたくさんある」
正直にそう伝えて、入会してもらいました。
Aさんは「半信半疑でした」と後で言っていましたが(笑)、とにかく始めてくれました。
壁と突破——コンパスという高い山を越えるまで

入会してから2、3ヶ月は順調でした。
クラシックで培った音楽的な耳がある。音を「聴く」力がある。指の動きも思ったより滑らかでした。
セビジャーナスの1番を、3ヶ月で通して弾けるようになった。これは本当に早かった。
壁は、半年を過ぎた頃に現れました。
コンパスです。
フラメンコのリズムは「コンパス」と呼ばれる特有のリズムの巡りで成り立っています。楽譜に書けないわけではないのですが、クラシックの拍子感とは根本的に違う。
「わかるんですが、合わせられないんです」
Aさんは何度もそう言っていました。頭では理解できている。でも体が追いつかない。
フラメンコを教えていて、実はこれが一番難しいと思う瞬間です。理屈で説明できるけど、体で覚えるしかない。言葉で伝えられる部分が少ない。
ぼくがやってもらったのは、単純なことでした。
毎日10分、パルマ(手拍子)だけの練習。フラメンコの音源を流しながら、ただ手を打つ。ギターは持たない。
最初はぎこちなかった。合わせようとすればするほど、ずれる。それが3ヶ月続きました。
ある日、Aさんから連絡が来ました。
「先生、なんか急に体に入った気がします。いつもと同じことをしていたんですが、今日はなぜか合わせられました」
コンパスというのは、ある日突然「わかる」ではなく、気づいたら「体が勝手に合わせている」という形でやってきます。
練習を続けていれば、必ずそのタイミングは来る。ぼくはそれを知っているので待てる。でも待っている本人はつらい。Aさんもそうでした。
それでも諦めなかったのは、レッスンのたびに「前より確実によくなっています」と伝え続けたことが効いたのかもしれない。そう言ってもらえると、自分でも気づかなかった点があります。
練習会デビュー——「やっと自分がフラメンコをやっていると実感した」

入会から1年が経ったとき、ぼくはAさんに練習会への参加を勧めました。
練習会は、踊り手と演奏者が集まって一緒に音を出す場です。発表会とは違って、失敗しても問題ない。でも「本物の踊り手がいる場」で弾くということが大事なんです。
Aさんは「まだ早いんじゃないか」と思っていたようです。でもぼくは早くないと思っていた。
技術の話ではありません。体験することの話です。踊り手の前で弾く、という経験が、次の半年を大きく変えるから。
当日、Aさんはセビジャーナスを1番だけ、踊り手に合わせて弾きました。ぼくも隣で弾いた。
終わった後、Aさんがぽつりと言いました。
「やっと自分がフラメンコをやっていると実感しました」
これが聞きたくて、ぼくはこの仕事をやっています。
クラシックを30年やっていても感じたことのなかった何か。踊り手と音を合わせることで生まれる、その瞬間だけの緊張感と一体感。それがフラメンコにはある。
Aさんは今も弾き続けています。先日のレッスンでは「次はソレアに挑戦したいんですが」と言っていました。
70歳で始めて、1年で練習会デビュー。
「遅すぎた」という言葉は、一度も出てきませんでした。
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