こんにちは、池川寿一です。
千葉・館山へ行ってきました。
この記事の目次
学生フラメンコ連盟との出会い
ぼくが大学4年生の時のことです。
周りが就職活動をする中、ご多分に漏れず将来について悩んでいました。
「ギターでプロになりたい!」「でもどうやっていいか分からない…」
そんな中、インターネットでたまたま見つけたのが全国学生フラメンコ連盟という存在でした。
これは関東を中心にフラメンコ・サークルがある大学が連盟を結んで、夏に千葉の館山で合同合宿をし、春に東京で合同公演をする、というものです。
ぼくはラテン歌手である父親の影響で6歳からフラメンコギターを弾いていましたが、友達でフラメンコをやっている人は当然いないので、いつも独りで弾いていました。
この連盟の存在を知って、はじめて「自分と同い年ぐらいの人たちがフラメンコをやってるんだ!」と驚いたものでした。
存在を知ったぼくは、すぐに連盟の代表者とコンタクトを取ってみることに。
部外者であるぼくを歓迎してくれ、その年の文化祭や合宿にも呼んでくれました。
「フラメンコの世界は踊りを踊る人はたくさんいるけど、ギターで伴奏できる人は少ないんだ」
ということに気がつきプロを目指そうと思ったのも、まさにこの団体のおかげでした。
(詳しい経緯はこちらに書いてあるのでよかったらどうぞ)
卒業してから15年以上。そして今日。
今年は館山フラメンコフェスティバル25周年の記念すべき年ということもあり、現役生達の発表の場とは別に、卒業生による特別公演に呼んでいただきました。
まさに15年以上ぶりの館山です。
駅を降りた途端に薫る懐かしい潮風。街の雰囲気。
仲間たちと約1週間、朝から晩までフラメンコ漬けな毎日を過ごした、想い出の土地です。
久しぶりの南総文化ホール。
写真展も開催されていました。
ホールでは現役生たちがリハーサルをしていました。みんな頑張ってる!
まさに青春時代そのもの。
仲間たちとかけがえのない時間を過ごすことが出来たのも、創設者である間瀬さんのおかげです。
そんな間瀬さんですが、イベントの直前にして逝ってしまいました。
会場ロビーには間瀬さんを偲ぶ展示がありました。
突然の訃報
卒業生公演に呼んで頂いたのをきっかけに「やっと間瀬さんに恩返しができる!」と思った矢先の訃報。
お葬式では学生時代の仲間達との久しぶりの再会。想い出話に花が咲きました。
かけがえのない仲間と出会えたのも間瀬さんのおかげです。
そして本番
ステージは3部構成で、第2部に卒業生公演がありました。
メンバーは、カンテ(歌)に石塚隆充さん、今枝友加さん。バイレ(踊り)に堀江朋子さん、伊集院史朗さんという超豪華な顔ぶれです。
オープニングは、伊集院史郎さんと堀江朋子さんのパレハ(2人組)によるタンゴスで幕を開けました。
続いてぼくのギターソロ。
当初ブレリアスを予定していましたが、間瀬さんの追悼の意を込めて、タランタに変更しました。
そして今枝友加さんによるカンテ・ソロ。マラゲーニャ・イ・ハベーラ。伴奏させて頂き幸せでした。
続いて伊集院史朗さんのソレア・ポル・ブレリアス。全身全霊を込めて踊られたとのことで、まさに鬼気迫るものがありました。
その後は石塚隆充さんによる弾き語り。曲はオリジナルのブレリアス。チョーカッコよかった!
踊りのラストは、堀江朋子さんのタラント。素晴らしいアイレ(雰囲気)でした。
本番中に泣いてしまいました。
「せっかくだから間瀬さんにお礼を言おう」とメンバーと話し、僭越ながらぼくがマイクを握らせていただきました。
「25周年おめでとうございます。ぼくたちは現役生のときにフラメンコと出会い、館山や学生フラメンコがあったおかげで、今は大好きなフラメンコを仕事にさせていただいています。
本当は、一番聞いてほしい人に、そばにいてほしかったのですが…」
ここまで話して、思わず泣いてしまいました。
「きっと、空の高いところから見守ってくれていると信じています」
最後はメンバー全員によるフィン・デ・フィエスタで幕を閉じました。
本番直後。ぼくは涙で目が赤くなり、さらにメガネが曇るという。
フェスティバルを終えて
第3部は再び現役生達によるステージ。個性豊かな演目が並び、ラストはフィナーレ・セビジャーナス。
大学の枠を超えて、出演者全員で踊り、歌い、弾かれました。
こうして記念すべき25回目の公演が終わりました。
間瀬さんがいなくなったのは本当に残念ですが、間瀬さんが撒いたフラメンコの種は確実に広がっています。
育てて頂いたことへ感謝を込め、これからも日々を大切に精進していこうと改めて思いました。
間瀬さん、ありがとうございました。